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瀧廉太郎 豊太閤 [廉太郎21才 [中学唱歌]]

明治34年(1901年)3月30日東京音楽学校から、中学の教科書用に『中學唱歌』が出版されました。編纂にあたり専門家への委嘱および一般公募により約200曲の中から38曲が選ばれました。廉太郎も3曲(一人3曲までの制約があった)応募し3曲とも選ばれました。

『荒城月』 『箱根八里』 『豊太閤』の3曲です。

この出版の1ヶ月後『中學唱歌披露演奏会』が開かれ、38曲の中から13曲が演奏されました。その際この3曲も選ばれ特に『荒城の月』 『箱根八里』は、大変好評だったそうです。

今回は、あまりなじみのない『豊太閤』です。
私自身も今まで聞いたことがありませんでした。
歌ってみるとまさに軍歌です。廉太郎は他にも軍歌を作っています。日本男兒命を捨てゝ我神洲軍(いくさ)ごっこです。これを創る労力を他の曲に注げばもう数曲の名曲が残っていたかもしれません。


中学唱歌の募集については、歌詞を一般に公表し応募者が詩を選択し曲を付けるといった方法だったようです。
廉太郎がこの『豊太閤』に曲を付けたのは、単なる偶然では無かったかもしれません。というのも瀧家は代々日出藩(現在の大分県速見郡日出(ひじ)町[別府の北隣りに位置します])の家老職も勤めた家でした。
主君である日出藩主木下氏の、初代木下延俊は、豊臣秀吉の正室北政所(ねね)の甥にあたり瀧家にとって豊臣秀吉は、代々仕えた主君に繋がる特別の意味がありました。廉太郎もそういった先祖の誇り持ち続けていたのではないでしょうか。



作曲: 瀧 廉太郎
作歌: 外山正一


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『豊太閤』 作歌 外山正一

第一章
戰(たゝか)へば勝ち攻(せ)むれば取る 僅(わづか)に數年(すねん)天下を一統(いっとう)
布衣(ほい)より起(おこ)りて四海(しかい)を治む 御門(みかど)の震襟(しんきん)初めて安し
國家の隆盛是より興(おこ)る 類(たぐゐ)無き智恵比類なき武勇
嗚呼(あゝ)人なるか 嗚呼神なるか 嗚呼太閤(たいかふ) 豊(ほう)太閤

第二章
萬里を隔(へだ)つる外國(とつくに)なるも 傲慢(がうまん)無禮(ぶれい)の振舞あらば
討ちて懲(こら)して降参せしむ 何より重きは國家の名譽
振(ふる)ひに振(ふる)ひし日本の国威(こくい) 輝き揚(あが)りし皇國(みくに)の國旗
嗚呼(あゝ)人なるか 嗚呼神なるか 嗚呼太閤(たいかふ) 豊(ほう)太閤

第三章
太閤出(い)つれば日本は狭し 世界に示せる無類の功(いさおし)
萬里の果まで聞ゆる譽れ 皇國(みくに)の名聲(めいせい)彼(か)れ故(ゆえ)高し
日本男兒の誠の鑑(かゞみ) 日本魂(だましひ)斯(か)くこそあれよ
嗚呼(あゝ)人なるか 嗚呼神なるか 嗚呼太閤(たいかふ) 豊(ほう)太閤~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

瀧家の菩提寺 『龍泉寺』  大分県速見郡日出(ひじ)町  (2010年7月10日撮影)
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『龍泉寺』瀧家先祖の墓  大分県速見郡日出(ひじ)町  (2010年7月10日撮影)
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『龍泉寺』 大分県速見郡日出(ひじ)町
右下にある暘谷城が木下氏の居城でした。瀧家もそのとなりの日出幼稚園のあるあたりに住んでいました。
ちなみに私も以前その付近に住んだことがあります。すぐ近くにある日出中学校は私の母校です。暘谷城二の丸にあります。本丸跡には小学校が建っています。



暘谷城址に建つ日出小学校 (2010年8月3日撮影)
IMGP4114.gif

日出中学校(日出小学校東隣り)  この写真の奥に瀧家の家がありました (2010年8月3日撮影)
 [私の母校です!]
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※一人で3回ずつ歌って多重録音しています。
2010/9/25録音
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